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長嶋茂雄はADHD発達障害?若い頃の何が凄い・天才な理由で何がすごい?

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長嶋 茂雄または長島 茂雄(ながしま しげお、1936年〈昭和11年〉2月20日 – ) は、千葉県印旛郡臼井町(現・佐倉市)出身の元プロ野球選手(内野手)・プロ野球監督。読売ジャイアンツ終身名誉監督、株式会社読売巨人軍専務取締役、日本プロ野球名球会顧問、ジャイアンツアカデミー名誉校長。

志溢れるプレイと無類の勝負強さで巨人の4番打者として活躍し続け、多くの野球ファンを熱狂させた「ON砲」として並び称された王貞治とともに巨人のV9に大きく貢献した。

長嶋は当時プロ野球選手の枠を超えた、国民的スターでした。

だが、「長嶋さんは良くも悪くも人と特別な資質を持ってたから大成した」と言えば、反対する人は少ないはずだ。

「長嶋さんの特異さ」を発達障害に求めてみたい。

「障害とは何事だ!失礼ではないか」と思われるかもしれないが、この場合の障害とは普通ではない・偏りがあるという意味だ。決して差別的なレッテル貼りではない。

シバッタマン

長嶋茂雄さんがADHD不注意型+発達性協調運動障害の典型的な症例なので、それが息子に遺伝しているとまでいわれています。

長嶋氏 らしさも兼ね添えられています。 その後の ずば抜けた集客と 安定した金銭は プロを志す有力な選手を 巨人へと 促す効果を今も持ち続けています。

目次

長嶋茂雄の凄さ!なぜ人気!足!実力や功績!引退の理由とスピーチ!王貞治と比較・違いや関係!何が凄い

プロフィール

出身地 千葉県印旛郡臼井町(現・佐倉市)
生年月日 1936年2月20日(86歳)
身長
体重 178 cm
76 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 三塁手
プロ入り 1958年
初出場 1958年4月5日
最終出場 1974年10月14日(引退試合)

長嶋 茂雄(1936年2月20日 – )は、千葉県印旛郡臼井町(現:佐倉市)出身の元プロ野球選手(内野手)・プロ野球監督。読売ジャイアンツ終身名誉監督。

日本プロ野球名球会顧問。血液型はB型。

志溢れるプレイと無類の勝負強さで巨人の4番打者として活躍し続け、多くの野球ファンを熱狂させた「ON砲」として並び称された王貞治とともに巨人のV9に大きく貢献した。

2001年より株式会社よみうり(現:株式会社読売巨人軍)専務取締役、巨人軍終身名誉監督。2013年、国民栄誉賞を受賞した。日本のプロ野球において400本塁打・2000安打の同時達成は大卒では史上初である。(Wikipedia)

長嶋茂雄の人気の理由!王貞治や野村克也と比較・違い!

長嶋茂雄が発達障害といわれたのは?

エピソードを取り上げた番組を見ると…どうも長嶋さんがドジをやらかす時には「1つのことに集中するあまり他のことが頭から吹っ飛んで、気がついたら自分のその前にした行動を覚えてない」ことが多い。長嶋茂雄伝説

  • 試合前「靴下がない!」と大騒ぎ、周りの選手も大騒ぎ、「ごめん、あった」片方の足に二枚履いていた。
  • 試合後「車の鍵がない」と大騒ぎ、周りの選手も大騒ぎ、「ごめん。今日は、電車で来たんだ」
  • 記者「長嶋さんのダイナミックさはどこからきているんですか?」長嶋「英語だから、アメリカですね」
  • オーストラリアで野球教室。「赤井君、上手いねえ」、「赤井君ナイスバッティング」、「赤井君がんばれよ」
  • 「しかしこのチームは赤井君ばっかりだねえ」→赤井電機がスポンサーだった。

そのため、発達障害で大成した人は学者やアスリートや芸能人など「一芸に秀でた人」が多く、「自分に向いてることであれば、高い集中力で没頭できる」のが強みだ。

特に長嶋さんクラスになると集中しすぎて雑念が振り払われるほどになる。

複数のことをこなすなど「1つの動作に集中できない環境や仕事」が苦手。それが発達障害の弱点であり、長嶋さんほど重度だと子どものようなミスをする。

人気の理由?

長嶋茂雄は立教大学で黄金時代を築き、六大学のホームラン記録を塗り替えて、史上最高の契約金で入団。

新人で二冠王の新人王。翌年、史上初の天覧試合で、延長戦間際のサヨナラホーマー。右打者最多の首位打者6回、最多安打10回。 V9時代の4番打者で、チャンスに滅法強い打撃。打撃の天才だけでなく、守備でも天才かつ魅せる守備、さらに足も速かった。 日本シリーズの最多MVP受賞者でもある。 打撃で累積数字が上位の人は、高卒で、弱いチームに所属し、打撃に専念した打つだけの人がほとんど。

野球は1つのことに集中する人に向いたスポーツではない

守備位置によっては連携プレーが必要。打撃も走塁も監督の指示を見て動くサインプレーが基本。

だから、サイン無しで暴走したり、連係プレーを意識して動いてないとそれだけで説教もの!だから、よほどの強打者やスターでない限り、視野が広くて周りが見える方が求められる。

長嶋という選手にも当然連係プレーはあった。だが、最小限で済むような打順・キャラ・プレイスタイルが認められたところが成功を大きく後押ししていたと考えている。

それが顕著に現れているのが守備位置ではないだろうか?

功績

落合博満曰く、

「長嶋さんの最大の凄さは、一人で球場を を満員にする事が出来た選手。 あんな選手は長嶋さんが最初で最後だろう 。」

この落合の言葉に尽きると思います。

王貞治やイチローは、1回観たら満足する選手でしたが、 長嶋茂雄の場合は、1度観たら又、次も観に行きたい選手とも。

長嶋茂雄のダイナミックなバッティングと 華麗な守備に、果敢な走塁は観る人を夢中にして、病み付きにしていたと思います。

長嶋の出現と伴に、プロ野球のテレビの視聴率は上がり、 長嶋監督となり球界から去った後は、視聴率は下がりました。

プロ野球を日本で国民的スポーツにしたパイオニアです。 地上波からプロ野球中継が激減しました。

実力や功績・勝負強さ!

実際に見てる世代じゃないとわからない部分はあると思います。世代では映像や数字くらいしでしかわからないけど 成績だけで言ったらもっとすごい人はいます。

エラーする映像はみるけど守りがすごいイメージもない。監督でも最下位になってますしね。

飛び抜けた実力の持主としての凄さ(リーグの平均打率が230の時代に長嶋一人が330~340と1割以上打っていました。守備も上手く、足も速く

当時としては珍しい走攻守3拍子が揃った完璧なプレイヤーだったことです。

監督として大成しきれなかった理由

シバッタマン

サインを忘れる
試合に興奮しすぎてボディーランゲージに走って、相手からサインがバレてしまって打たれる。
・采配を間違える(名前が覚えられない/自分の使った選手を忘れてしまう)
・選手の育成方針が周りから理解されない。とりわけ、奇抜な転向をさせた際に理由が説明されても理論がわからず周りがフォローできない。

多分、サインや人の名前を覚えていたら、指示や人選は合ってたのかもしれない。

だけど悲しいかな、常人にとって当たり前のことが長嶋さんには一番難しい・向いてないことだった。

ちなみに、「ホームランを見せるために息子を連れてきた話」にはまだ続きがあって…。
なんと「自分が王のホームランに興奮しすぎた結果、息子を球場に連れてきたことを忘れて置き去りにした」のだ!

この例に限らず、興奮して試合を見ている・野球に集中して考えている時には大事なこと自分が一番集中しているから忘れていくのだろう…。

まとめ

人がしないようなドジを子どもの頃から自分の子どもだけしてたら「コイツ大丈夫か?」と思う人の気持ちもわからないでもない。実際、大人になってから発達障害であることが発覚する人も「普通になりきれない」「普通ができない」ことに悩む。

だが、そんな人でも興味や適正、あるいはキャラを活かして立ち位置を勝ち取ることができたら大成できるとしたら…?

そう考えてもらえら前向きになれるのでは?そんな思いから、これを書きました。

長嶋茂雄は発達障害?若い頃の何が凄い・天才なのもADHD?一茂にも影響?

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